才能のあるあなたへ

独り言の延長線上です

ミスiD一次審査通過に対して

ミスiD2018の一次審査を通過した。

約4500人中の約250人に選ばれたらしい。とても光栄なことだと思う。と同時に、何故私が受かったのかを考えてみる。

ツイッターでミスiDと検索するといろんなエントリーした人たちの思いが綴られている。それをわたしは毎日のように見ていた。現在進行形である。ある人は「書類審査通過しました!神様チャンスをくれてありがとう!」と喜びを表し、またある人は「なんで落ちたのかわからない。諦めきれません」と嘆いている。受かった人間と受からなかった人間を比べて、人間らしいと思ったのは受からなかった人たちだし、受からなかった人の方がよっぽどわたしより可愛い。何故わたしが受かったのだろうか?自分なりに考えたがやはりよくわからない。他人のことはわかっても(わかったつもりで本当に他人の心がわかるとはさらさら思ってない)、自分のことはまったくわからないものなのだなあ、と実感した。

さて、ミスiD一次審査を突破したのだが、わたしは以前のブログにも書いた通りミスiDの魅力や本質にそもそも疑問を抱いている。ミスiDを受けた人間は幸せなのだろうか?ミスiDになることで何を得られるのだろうか?気になって仕方がない。それは受けていない人たちも同じのようで、「ミスiDってなに?」と疑問を抱くツイートをたびたび見かける。そう、ミスiDとはいったいどんな人物が得をして、どんな人物に受け入れられるものなのか。外野にいた頃は「サブカルちっくな人が好む大会だろう」と思っていたが、本当にそうなのだろうか?だとしたらわたしは真っ先に落とされていいはずだ。わたしは別にサブカルチャーが好きな人間だとは思わない。どちらかといえばメジャーに活躍したいし、ドラマや映画や舞台に出て活躍したい。趣味も多趣味なだけであってサブカルチャー的な要素はそんなにない。だとしたらわたしの何が所謂「ミスiDっぽい」のだろう。そもそも「ミスiDっぽい」ってなんなのか?新しい人材を発掘するオーディションで「ミスiDっぽい」なんて言ってたらオワコンでは?考えれば考えるほど謎は深まるし、ミスiDに対しての不信感が募るばかりだ。

わたしは決してミスiDになりたいのではない。ミスiDという概念そのものに興味があり、それを紐解きたいだけなのだ。そのためにこのオーディションを利用したいだけであって、本来受けるなら映画のキャストオーディションとかが受けたいのだ。この気持ちに賛同してくれる人は果たしているのかはわからないが、もし応援してくれる人がいるのならそれに応えたいとは思うし、ミスiDを通して女優としての道が確立されるなら願ったり叶ったりな案件だ。とことん利用し尽くしてやろう。そして本質をあぶり出していこう。それがわたしのためであり、ミスiDのためだとわたしは勝手に思っている。